英語の勉強メモ

英文中で出会った表現のメモや、英語に関わる文献のメモです。

度量句について

(1)The largest cave is nearly five meters deep and can shelter up to 85 turtles at a time. (京都産業大

 

英語には(1)の下線部に示されるような、形容詞の具体的な数値を前において示す用法がある。八木孝夫(1987)『程度表現と比較構造』によると、この形を取れる形容詞はかなり限られており、具体的には以下のものが挙げられている。

 

・broad / deep / distant / high / long / old / tall / thick / wide / pregnant / strong / overweight / early / late / short / (時計が)fast / (時計が)slow

 

以下該当する表現を入試問題より二つほど挙げておく。

(2)When I was five months pregnant, though I admit I did not look it in my winter coat, I was sitting on the subway when two middle-aged women got on: there were no more seats so they stood in front of me, hanging onto straps, and started to complain, very pointedly, about the ill manners of the young.(共立女子大)

 

(3) That clock is fifteen minutes fast.(立正大)

 

なお、COCAで~minutes [seconds / hours] slow [fast]の形で検索をかけると、たったの20例ほどしか出てこないので、そんなに頻繁に使われるものではないのだろう。

 

さて、*John is seventy kilos heavy.とは言えないが、代わりにJohn weighs seventy kilos.があり、同じように、*The book is six dolloars dear / expensive.と言えない代わりにThe book costs six dollars.と言える、という事実がある。このことに関して同書では、「一般に、ある尺度について一般動詞+度量句の表現が存在する場合、対応するbe+[度量句+形容詞]の表現は存在しないと言える。」と書いてあり、なるほどぉという感じ。

 

そういえば、こういうcost / weighなどの度量を表す動詞の場合、主語が主題で目的語は主語が存在する場所を表す、ということで主題役割は場所の扱いになるらしい。Jackendoffが言うところの主題階層において、受動文のby句で表される名詞は受動文の主語よりも子の階層において高い位置になくてはいけない、というような制約が提案されたことがあった。よって、cost / weighなどを受け身で使うとこの階層が逆転するので非文になる、という説明がされていた気がする。

 

が、そんなこと言わなくったって、costとかweighなんて受け身にしようと思う人なんていないと思うけどね・・・。

 

longについて

longには次のような使い方がある。

 

(1)Remember also that it does not take long to say 1,000 words. That's the number we would expect to find in a five-minute conversation.(学習院大)

 

ジーニアスなどの辞書を見るとこの場合のlongは名詞という扱いになっている。

 

が、Huddleston and Pullum (2002)ではあくまで副詞だと書かれている。まあ、そうだよね。

 

(2)Take as long as you like.

(3)How long can you give me.

 

同書ではこれらの例文をあげて、as...asに挟まれたりhow に修飾されたりするんだから名詞ではなく副詞だ、という。(1)の例のように動詞の後ろにlongが単独で現れる使い方ができるのは、一部の限られた動詞のみで、同書ではtake / have / need / spend / give / beが挙げられている。また、名詞のように見えても主語では原則使えない、と指摘されていて面白い。

 

同書ではlongが動詞の次に置かれる場合は肯定文ではあまり使われない、と書かれていて、このことに関しては一般的な辞書にもしっかりと「通例否定文・疑問文で」と書かれている。

 

よく言われるように、英語には否定対極表現(あるいは否定極性表現)という一連の語群があり、これらは否定文あるいは疑問文・条件文などでのみ使用が認められる表現のことを言う。要するにざっくり言えば肯定文以外ということになるので、「非肯定」とまとめることもできる。日本語の「ちっとも」とか「誰も」とか「一言も」とかも同じタイプと考える。

 

有村ほか(2009)『英語学へのファーストステップ』(英宝社)には否定対極表現としてany / everなどの典型的なよく言われる表現に加え、muchやlongなどもまとめて挙げてある。muchとlongについては「条件付きで」肯定の文脈に現れることもあると書かれており、具体的にはtoo がついたり比較になったりすればよい、とある(なおこのことは普通の辞書にも書いてある)。

 

(4)? He stayed long.

(5)He stayed longer / too long.

 

また、動詞の前なら単独で肯定文にも現れることができる。

 

(6)I have long thought of moving to Kobe.

(7)We much prefer his offer.

 

みんな大好きMichael SwanのPractical English Usageにもlongに関する項目があり、そこでは肯定文で使われる場合、too / enough / as / so などと共に使われる、とある。

 

(8)The meeting went on too long.

(9)I've been working here long enough. Time to get a new job.

(10)You can stay as long as you want.

 

そして、こうした条件が満たされない場合、同じ意味を表すのに肯定文ではfor a long timeを使う、とある。

 

(11)I waited for a long time, but she didn't arrive.

 

このfor a long timeが否定文で使われる場合の解釈の違いにも触れられていて面白い。

 

(12)She didn't speak for long. (= She only spole for a short time.)

(13)She didn't speak for a long time. 

 

カッコで書かれているように(12)は「彼女は長くは働かなかった→短い時間しか働かなかった。」と解釈する。一方の(13)は「彼女は長いことしゃべらなかった→長いこと黙っていた」と解釈できる。そしてFor a long time she didn't speak.と同じ、と書かれていて面白い。要するにfor a long timeが否定のスコープに入るかどうか、という話。

 

上に書いたようにlonger、すなわち比較級になれば肯定に現れる、わけだけれど、逆にfor a longer timeとは言うのか、というと、Michael Swanによれば、「いや、for longerとする」とあり、for a longer timeには×がつけられている。

 

もちろん、

 

(14)The second reason is that these days, young adults often live with their parents for a longer time than they did in the past. (高崎健康福祉大

 

というようにfor a longer timeという表現が皆無なわけではない。が、COCAで調べてみると、for a long timeが12500例くらい出てくるのに対して、for a longer timeはわずか90例ほど(そしてfor longerが1260例くらい)なので、やっぱり普通は比較の場合はfor longerとするとしておいた方が安全かもしれない。

 

昔はIt will not be long before SVという表現なのに対してなぜIt will be a long time before SVあるいはIt will be a while before SVなのか本当に不思議で仕方がなかったが、そもそもlongが否定対極表現だ、と考えれば一発で解決するとわかった時はなかなか感動した。

 

が、納得したように見せかけておいて、そもそも、なぜlongが否定対極表現なのか、ということになると、考えても仕方がない気もするが、やっぱりよく分からない。

 

以前ある大学の先生が「存在は名詞で表して非存在は形容詞で表す傾向にあるのではないか」と言った旨のことを指摘してくださったが、確信はゼロだけどなんかそんな気もする。

 

 

 

 

aloudの意味

副詞のaloudは誤解されやすい単語の一つとされていて、辞書などにはたいてい「aloudとloudlyの違いに注意しなさい」と書いてある。ジーニアス英和大辞典には次の三つの語義が挙がっている。

 

1.(人に聞こえるほどに)声を出して

2.(古)大声で

3.(英略式)はっきり

 

 

同時書の例文をいくつか。

(1)read a poem aloud「詩を朗読する」

(2)The candle will lose its magical power if the wish is uttered aloud.

「模試願い事を口に出していってしまうとろうそくは魔力を失うだろう」

 

英英辞典の定義をいくつか。

・in a voice loud enough to be heard (Cambridge)

・with the speaking voice in a way that can be clearly heard / archaic : in a loud manner (Merriam-Webster)

if you readlaugh, say something etc aloud, you read etc so that people can hear you (Longman)

 

Longmanには次のような注意書きがついている。

Do not use aloud to mean ‘in a loud voice’. Use loudlyYou need to speak quite loudly for the people at the back.

 

こうやって見てくると、確かによく言われるようにaloudは「声に出して/聞こえるように」の意味で、ジーニアスやMerriam-Websterにあるように「大声で」は古い用法で今ではその意味ではloudlyを使う、と言えそうだ。

 

 

が、Longmanに挙がっている次の例文は「大声で笑う」の意味に「も」なるのではないか。

 

(3)She could have laughed aloud.

 

これは訳せばおそらく「やろうと思えば彼女は大声で笑うこともできただろう」くらいになる場合もあると思う。もちろん、laugh aloudが「人に聞こえるくらいに笑う」の意味にもなるだろうが、「大声で笑う」の解釈もあると思う。さて、COCAから拾ってきた次の例はその解釈があり得ることを示している。

 

(4)He laughed aloud, the big, hearty full-bodied laugh Lila used to love.

 

さて、Longmanにはlaughを含めて

 

・laugh / groan / cry etc aloud

 

という動詞群がまとめられている。これらの表現ではどれもaloudは「大きな声で」の意味になりうるものをまとめているのではないか。

 

ここで参考になるのが小西編の『現代英語語法辞典』だ。そこでは概略次のように書いてある。

 

・本来声を出すことを前提としない個人的行為の動詞の場合は「口に出して」の意(例:read / think)

・声を出すこと意味する動詞の場合は「他人に聞こえるくらい」の意(例:speak / laugh)

・大きな声を含意する動詞の場合は「大声で」の意味

 

要するに動詞によっては「大きな声で」の解釈にもなる場合があるということだろう。COCAの用例を見る限り、そんなに「古い」というほどではないと思う。上に挙げたパターンのうちの三つ目の「大きな声を含意する」動詞でaloudと共起するものをいくつか挙げる。

 

・exclaim / cry / laugh / shout

 

shoutの例。

 

(5)" Dragons, come! " I shouted aloud.

 

exclaimの例。

 

(6)" It smells like-like Christmas trees! " he exclaimed aloud.

 

ちなみにCOCAで検索してみるとaloudと共起するもっとも高頻度な動詞はreadだ。それ以外だとsay / speak / think / wonderなどがよく一緒に使われている様子。こうしたところからもaloudの基本的なよくある意味としてはやはり各辞書が挙げている通り「(聞こえる位に)声を出して」という意味になるのだろう。が、一部の動詞と組み合わさる場合に「大きな声で」の意味合いとなりうることについては、ただ「古い」とだけ書くのではなくてもう少し丁寧に書いてもいい気もする。

 

が、改めて考えてみると、やはりaloudを使った場合は、結果的に大きな声かどうかはさておき、「相手に聞こえるくらいに」というのがメインに伝えたい内容なのかもしれないという気がしないでもない。同じ音量で叫んでも、「通常よりでかい声で」に焦点がある場合はloud(ly)で、「人に聞こえちゃうくらいに」に焦点がある場合はaloudを使う、というように使い分けがあるのか。ただ、そんなに細かい使い分けを本当にしているか、というと微妙な気もする。よく分からない。

 

 

pseudogappingについて

Goldberg (2019) Explain Me Thisに次のような一文が出てくる。

 

(1)In the first experiment, participants showed a slight tendency to avoid using novel a-adjectives (e.g., afek) prenominally, instead producing them in relative clauses more often than they did adjectives like sleepy or chammy.

 

ここで下線を引いたthey did adjectivesにおけるdidはdid produceのdidであり、こうした助動詞を残して一部が消える構文を疑似空所構文(pseudo-gapping)という。疑似空所という名前があるくらいなので疑似じゃない空所構文もあり、それは以下のような文を指す。

 

(2)John read time, and Mary Newsweek.

 

等位接続詞andに結ばれた二文のうち後半で動詞部分が空白になっている。(1)のような文と(2)のような文では、見て明らかな違いは当然助動詞が残るかどうかにあるが、それ以外にも構造上・文法上かなり異なる構文であるとみなされているらしい。

 

ここでは主にGengel (2013)を参考に(1)のようなpseudo-gappingについていくつかメモをしておく。

 

(3)Growing up, Joachim, 40, spent more time cooking than he did watching television.

(4)It makes me feel as bad as it does you.

(5)You can’t treat him the way you do a child. (八木(1987))

(6)Does that make you mad? It would me.

 

最初の二例のように比較節の中で最も頻繁に現れるらしい。が、(5)や(6)のようにその他の構文でも生起可能である。空所構文は等位節においてのみ許容されるのに対し、疑似空所構文は等位節では許容されないことがある。

 

(7)*You probably just feel relieved, but I do jubilant.

 

が、果たしてそういうことなのか。同じ本の同じページの注釈で “Note, however, that the ungrammaticality of the sentence in (23) (=These leeks look terrible – *Your steak will better.の対話) may stem from a ban on adjectival remnants in general”と言っているので、むしろ形容詞(jubilant)が残る形になっているから(7)はダメなのかもしれない。

 

ところで、(7)で使われている等位接続詞はbutである。空所構文は等位節では許容されるが、他の環境では許容されない、と書いたが、今西・浅野(1990)では等位接続詞の中でもand / or / norの場合は良いが、butは許容されにくい、と説明され次のような例が挙げられている。

 

(8)?Bill ate the peaches, but Harry the grapes.

(9)Some people like bagels, but others creamcheese.

 

今西・浅野によれば、「等位接続詞butは、一番目の等位校と二番目の等位行の間に意味的な対立がある場合に用いられると適切な等位接続となる」ので、(8)ではそのような解釈がしにくいために容認度が低いが、(9)の場合はそうした解釈がしやすいので許容される、ということらしい。

 

さて、(7)の例について等位接続詞ではなく形容詞が問題なのではないか、という点について触れたが、比較節中では形容詞が問題なく現れる。

 

(10)I probably feel more jubilant than you do relieved.

 

やはり上にも書いたように比較節においてはかなり疑似空所構文が生起しやすいということなのかもしれない。

 

動詞がなくなる、という点で言えば疑似空所構文は次のようなVP削除に似ている。

 

(11)Mary met Bill at Berkeley and Sue did too.

(12)Because Pavarotti couldn’t, they asked Domingo to sing the part.

 

ただし違いも多い。第一にVP削除の場合(12)が示すように副詞節の中で先に削除部分が生起できるが、(13)に示されるように疑似空所化構文では容認されない。

 

(13)*Although Mag doesn’t eggplants, Sally eats rutabagas.

 

疑似空所構文では名詞句の一部のみを消すことができない。

 

(14)*While Holly didn’t discuss a report about every boy, she did every girl.

 

一方VP削除の場合可能であるように思われる。

 

(15)I know which woman Holly will discuss a report about, but I don’t know which woman you will.

 

解釈における違いもある。

 

(16)Fred gave flowers to his sweetie because Frank had.

(17)Fred gave flowers to his sweetie because Frank had chocolates.

 

VP削除である(16)では、「フランクが自分の彼女に花をあげたのでフレッドも自分の彼女に花をあげた」と訳せる。ところがこの日本語は僕的には多義で、「①フランクがフランクの彼女に花をあげたので」という解釈と「②フランクがフレッドの彼女に花をあげたので」の解釈の両方が可能に思える。そして、(16)の文はそのどちらの解釈も可能であるらしい。一方の(17)では「フランクがフレッドの彼女にチョコをあげたので」の解釈にしかならない。

 

そういえば、この解釈の揺れ、という点についていえば次のような受験定番の構文でも同じ事がいえるらしい。

 

(18)Tom scratched his arm and so did I.

 

要するに(18)では「①私もトムの腕をひっかいた」の解釈と「②私も私の腕をひっかいた」の解釈の両方がある、ということだ。

 

疑似空所構文と空所構文の違いに話をいったん移す。

 

(19)Mittie ate natto, and I thought that Sam had rice.

(20)*Mittie ate natto, and I thought that Samφrice.

 

この例から分かるように、疑似空所構文は埋め込み節に適用できるが、空所構文はそれが不可能である(わかりやすいように空所にφを書き入れてある)。

 

また、疑似空所化構文では対話において相手の発話に対して用いることができるが、空所化構文はそれができない。

 

(21)Speaker A: Drinks like that knock me over  Speaker B: They would me.

(22)Speaker A: Mary will buy an iPod nano. Speaker B: # Yes, Samφan iPod shuffle.

 

空所化構文の例は畠山(2006)からだが、そこでは、ここでの#は、先行する文の答えとしては不適切であることを示している、と書かれているが、パッと見ただけでは空所化問題なのではなくて、Yesという応答とかみ合ってないだけではないか、という気もするが、まあ、きっとそういうことじゃないんだろう。ちなみに、同書では、(22)の返答部分をYes, Sam will an iPod shuffle.としても同じようにダメだ、と書かれていて、Gengel(2013)と言ってること違うじゃん、という感じはするが、母語話者によっても結構容認性に違いがあるということなのかもしれない。なお、今西・浅野(1990)では次の例があがっており、容認可能だとしている。

 

(23)Speaker A: I just hope it will make you happy.  Speaker B: Hasn’t it you?

 

さて、疑似空所化では比較節に現れやすいということに関して、補足をする。逆に言えばこれは他の環境では制限されるということで、例えば次のような文は容認されない。

 

(24)*Rona looked annoyed, but she didn’t frustrated.

(25)?They don’t own a house, but we do a trailer.

 

このように心理動詞や主語繰り上げ動詞、状態動詞では容認度が著しく低くなるあるいは容認不可となる。

 

(26)More girls were aware that Linda had a false tooth than boys were that Max had a false eyes.

 

一般に疑似空所構文では最後の残る要素(空白の右側)は原則名詞句か前置詞句となるが、(10)で示されたように比較節中の疑似空所構文では形容詞が残ることも許容される。そして、比較節中では(26)が示すように節が右に来る場合も容認されるらしい。

 

 

Gengel, K (2013) Pseudogapping and ellipsis (Vol. 47). OUP Oxford.

畠山雄二 (2006)『言語学の専門家が教える新しい英文法』ベレ出版.

今西典子・浅野一郎 (1990)『照応と削除』大修館書店.

八木孝夫 (1987)『程度表現と比較構造』大修館書店.

time away constructionについて

立教大学の長文問題に次のような一文が出てくる。

 

(1)Your body won't be ready for sleep until the wee hours of the morning and it will want to sleep most of the day away (an extreme example of the delayed sleep pattern of many adolescents).

 

本来的に「寝る・眠る」の意味のsleepは自動詞で目的語を取らない。にもかかわらずこの英文ではmost of the dayがsleepの目的語のようにふるまっている。一般にこのような【V O away】の形をとる構文はtime away constructionと呼ばれている。この構文はJackendoff (1997)で詳細に論じられている。この論文から興味深い点をいくつかメモしておく。

 

(2)Fred drank the night away. 「フレッドは一晩飲み明かした」

(3)*Fred drank scotch the night away.

(4)*Fred devoured the night away.

 

この三例から分かるように、基本的に動詞は目的語を本来取らないものでなくてはいけず、時間を表す名詞以外が現れてもいけない(なお、旅の文脈などで It was a long boring flight, and so Bob slept the whole state of Nebraska away.のような言い方はできるらしい)。ただし、次のようにwith句がつくことは可能。

 

(5)Fred drank the night away with a bottle of Jack Daniels.

 

次の例が示すように名詞句と語順が転倒することも可。

 

(6)Stan fished away all of Tuesday morning.

 

ただし、awayが修飾を受ける場合は転倒した語順が許されない。

 

(7)Dan slept the long afternoon entirely away.

(8)*Dan slept entirely away the long afternoon.

 

これは他の表現と同じである。

 

(9)I looked the answer right up.

(10)*I looked right up the answer.

 

意味的に考えれば*sleep the afternoon upのようなupを使った表現も可能に思えるが、実際は不可である。

 

次の例のように英語では名詞句が副詞のように使われることがあるが、そうした例とここで扱っているtime away constructionは混同してはいけない。

 

(11)Kate is leaving Monday.

 

ここでの名詞句Mondayは当然受身などの操作を加えることができない。

 

(12)*Monday is being left by Bill.

 

一方でtime away constructionではそれが可能である。

 

(13)The evening had been nearly slept away, when I suddenly awoke with a start.

 

こうした点からtime away constructionで現れる時間名詞句は完全に目的語としての性質を持っていると言える。例えばtough constructionにも現れることができる。

 

(14)A morning like this is hard for even me to sleep away.

 

意味的な点では、for句を伴う文で書き換えができる。

 

(15)Bill slept the whole afternoon away.

(16)Bill slept for the whole afternoon.

 

for句はatelic(終点がないこと)であることを要求する。よって次の例は容認されない。

 

(17)*Paula ate the peanut for the whole afternoon.

 

次のような例では「繰り返し」の読みが強制される。

 

(18)Saul sneezed for the whole afternoon.

 

time away constructionにおいても似たような制限があるように見える(が、time away constructionはtelicだと書かれている)。

 

(19)*Dave died the afternoon away.

(20)Saul sneezed the afternoon away. (繰り返しの解釈)

 

ただし、time away constructionはさらに制限が厳しい。

 

(21)The light flashed for two hours.

(22)*The light flashed two hours away.

(23)Celia sat for two hours.

(24)*Celia sat two hours away.

 

最初の二例の対比から分かるようにtime away constructionは主語の意思に基づくものでなくてはいけない。後半の二例が示しているのは、time away constructionではactivityでなくてはいけず、stateではだめということだ。

 

time away constructionとは別に、awayには「継続」を表す用法がある。

 

(25)Bill slept away.

 

こうした【V away】はだいたい【keep on Ving】を表すという。しかし次に見るようにこの【V away】とtime away constructionには違いがあるという。

 

(26)*Sally waltzed entirely away.

(27)Sally waltzed the afternoon entirely away.

(28)*It took a month for Lois and Clark to finally get to dance away.

(29)It took a month for Lois and Clark to finally get to dance two blissful hours away.

 

最初の二例が示しているのは【V away】はquantificational modificationが無理だということ、そして次の二例が示しているのは【V away】がatelicなのに対し、time away constructionはtelicである、ということらしい。

 

文献

Jackendoff, R. (1997). Twistin'the night away. Language, 534-559.

 

 

 

 

仮定法の従属節への影響

Goldberg著のExplain Me This : Creativity, Competition, and the Partial Productivity of Constructions(2019)に次のような一文が出てくる(p26)。

 

(1)If two words were truly interchangeable, speakers would be forced to make a totally random decision each time either word was used. 

 

この文は内容からして全体としては明らかに仮定法の文と言えるが、最後のeach timeに導入される副詞節でwasという過去形が使われているのはやや奇妙にも思える。というのも、「どちらかが使われるときは毎回」という内容は仮定的な条件ではないからだ。

 

千葉(2013、2018)では、このように仮定法動詞が現れる一つの節だけでなく一つ下の従属節に伝播あるいは浸透する場合を「仮定法の伝播」と読んで議論している。これらからいくつか例を挙げる。

 

(2)If we measured adult sentences with a ruler, we would find in most cases that the length before the verb was short and the length after the verb was long.

(3)If Japanese students were supposed to study English so that they developed competence in English, then such study should begin much earlier than it does. 

(4)If I were rich, I would buy you anything you wanted.

(5)In such a situation, the acceptance of their proposal would be tantamount to an admission that you were really wrong.

 

上記はそれぞれ(2)が名詞節、(3)が副詞節、(4)が関係節、(5)が同格節になっている。

 

次の例の二つ目の下線部では仮定法過去を受けて関係節部分が過去完了を受けていて面白い。

(6)If, for example, children did not remember many of the words, phrases and sentences that they heard, they would have little basis for discovering abstract meanings and rules. A certain grammatical structure, negation for instance, requires that the child remember many negative sentences. If the child could not remember negative sentences that had been experienced previously, the child would have nothing with which to compare a presently occurring sentence, and thus could not make significant guesses as to its structure. Without a good memory, language learning would not be possible.(青学)

 

 

文献

千葉修司(2013)『英語の仮定法ー仮定法現在を中心にー』開拓社.

千葉修司(2018)『英語の時制の一致ー時制の一致と「仮定法の伝播」』開拓社.

 

【more 形容詞 a 名詞】の語順

良く知られているように、too / as / so / how / howeverの後ろに名詞句が来る場合、特徴的な語順を取る。

 

(1)That was too difficult a question to answer.

 

このように【形容詞 a 名詞】の語順を取るのはわかるが、たまにmoreでこの語順を取っているものを目にする。

 

(2)All we have managed to do is make more popular a policy that wasn't very popular when we started trying to get rid of it.(COCA)

(3)I mean the heavy hickory cane he always carried on the walks around town that became more and more familiar a sight as my brother Luther and I got old enough to pitch in on the farm.(COCA)

 

奥野 (1989)ではseemとseem to beの違いについての記述があり、よく言われるようにseem Aの形の場合、Aに来れる形容詞・名詞には制限が多いことが説明されている。その中で、seem Aの場合、Aには複数名詞や物質名詞が許容されにくいということが書かれており、ここではAには段階的な内容が欲しいのに対し、複数名詞や定名詞句、物質名詞などは段階性が感じにくいために容認されないのではないか、という説明がされている。

 

個人的に面白いのは、この点と絡めて、(1)のような例が挙げられていることだ。

受験でも定番だが、tooなどは後ろに複数名詞や物質名詞が来る場合は許容されない(例外的にmuch / manyなどの数量詞が来る場合は許容されるのも周知のとおり)。自分は単純にaがなくなってしまうとtooなどに名詞句が続いているように見えてしまうために許容されないと勝手に思っていたが、奥野(1989)では、どうも、seem Aに段階的な内容が欲しい、というのと同じ原理が働いていると考えているらしい。なるほどね、その発想はなかった。まあ、なんか違う気はするけれど。

 

が、しかし、何より面白いのは、次の例が挙げられていること。

 

(4)Mary is more intelligent a girl than Sally is.

 

以前読んだときに、この例を見て、あれ、この形って取るんだっけ、となった。古い形なのか?

 

まあ、用例はかなり少ないのは確かで、すごく自然な用法ではないと思う。だけど、確かに一定程度見かける気もするが、これはある種の類推なのか。too / asなどの形があるため、似たような使い方が混同によって生まれてしまったのか。それとも、僕が知らないだけで、なんかこういうのルールあるんでしたっけ。。。

まあ、とりあえずもう少し例を挙げておく。

 

(5)Most journalists think that's more important a story and a more important investigation than the Monica Lewinsky matter, but despite our involvement in it, the public met it with a collective yawn.

 

(6)It is all the more powerful a presence in the play for being enigmatic.

 

(7)This makes it all the more powerful a force, however, because, introduced there by her mother, it becomes the core of her self-image.

 

上の(5)の例では直後にa more important investigationという普通の語順が来ているのが興味深い。(6)と(7)では【all the 比較】という表現とaの組み合わせが結果的にこの語順にしかできないと考えると面白い。ちなみに、more以外で比較の場合も次のようなケースがある。

 

(8)That seems to be a little bit larger a program than we've known in the past, although it's not new.

 

ここでもa little bitがあるためにlargerの後ろ以外冠詞が入る位置がない、ということなのか。よく分からないけれど、とりあえず興味深い。

 

文献

奥野忠徳(1989)『変形文法による英語の分析』開拓社.