by the hundreds / millions / thousandsという表現について
学習院大の過去問に次のような英文が出てくる。
(1)Elephants in the wild are being killed by the thousands for their tusks because the ivory is highly valued in some Asian countries.
下線を引いた部分の表現は「何千という単位で」というような意味の表現で、「多い」ことを強調する表現と考えられる。こういう表現に関しては塾予備校等の授業でもbyに「単位」の意味があるという教え方をしていると思う。類例を挙げておく。
(2)This year, the beach is welcoming people by the thousands every day. (岡山大)
(3)Women by the thousands went to work in factories and took over businesses for their absent husbands. (香川大)(*戦争で男性が兵役に行っていなくなったという文脈)
(4)And with scientists discovering new exoplanets by the hundreds, one more world would hardly seem to add much to our knowledge of the great variety of objects in space.(駒沢大)
Vの後ろにつくことが多い気がするが、(3)のようにVの前に来る場合もあるので注意が必要。
COCAでby the thousands / millions / hundredsの左右4語以内に出てくるVを簡易検索すると、この表現とよく使われるVにはdie (be killed) / arrive / gather / go / come / findなどがあることが分かる。個人的には人の移動を表す動詞や何かを見つける時に使うことが多いという印象があったが、ざっくりと見た感じそんなにずれてもいない気がする。が、少なくともCOCAで検索する限りにおいて、die / be killedという動詞が一番多く(ちなみに進行形が多い)、それに関してはちょっと意外(ただ、下の(5)の例ではon their wayとあるので行く途中でという移動の感じがあるのは面白い)。ニ例ほど挙げておく。
(5)After their surrender in 1864 the Circassians were expelled, and refugees died by the thousands on their way to Sochi.
(6)People are dying by the hundreds and thousands in America from meth addiction.
下の例のようにhundreds and thousandsという形で使われる例もあるが、これはとにかく数がでかいということの強調なのではないかと思う(違うかもしれない)。ちなみに、次のようなタイプもある。
(7)They were coming to events by the hundreds of thousands.
さて、こうしたbyを含む前置詞の使い方に関して塾・予備校業界ではどのような取り組み方がされるか。一番ポップなのは「中心的なイメージ」を理解し、「様々な意味につなげていく」式のやり方だろう。個人的にはこのやり方が全て悪いというつもりはないし、理解の上では有効な部分もかなりあると思うし、記憶の定着に大きく貢献してくれることもあると思う。がしかし、「理解すれば覚えなくていい」というのはまずいと思う。意味と意味との間の結びつきを理解する(あるいは推測・想像する)ことに加え、やはり実際の例に触れる中で一つ一つ(意識的にでも無意識的にでも)覚えていくことが必要なのは言うまでもない。3年か4年ほど前、平沢慎也さんの博論を読ませていただいて、感動した記憶がある。この博論では抽象的な意味と意味のつながりよりも「個別事例の個別の知識」が重要であることを繰り返しbyという前置詞の記述をしながら丁寧に説いたものとなっている。
この方は認知言語学という言語学の分野で研究されている方だ。認知言語学というと、世の中一般の人のイメージはやはりどちらかというと「一つの意味からどうやって他の意味に結び付くか」の説明をしているという点が強いと思う。実際、かなりの数の「認知言語学を英語教育に」系の論文や文献は存在し、比較的多くのものが、「ネイティブの見方を反映させた認知言語学の説明が学習英文法にも役に立つ」といったような方向性を持っている印象がある。
Cognitive Linguistics and Second Language Learning
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例えばこの本もそういう発想がかなりみられる。
一方、平沢さんの博論ではむしろそういう発想だけでは英語は使えるようにはならない、ということが丁寧に説明されている。
で、繰り返しになるが、環境や様々な制限等を考えたときに、こうした発想がおかしいとは全く思わないし、理解記憶の助けになる部分はあると思う。文法の学習も無味乾燥に思えたのに、「ネイティブの発想」とか言われたらなんか面白く感じて勉強する気になった、という学習者もかなり多いのは事実で、そういう動機づけ的な点からもプラス面があるのは間違いない。
が、どうも、この業界は特に、「暗記ではない」ということを強調しすぎるきらいがあり、「覚えなくていい、大切なのは理解」という部分を全面的に押し出しすぎな感はあり、「なるべく覚えることは少なく」という方向の授業が好かれやすい感もある。正直それはこの予備校産業が抱える大きな問題の一つだとすら思う。少なくとも英語に関しては、実際の例に触れる中で身につけていくしかない部分が大きい。
先ほどの平沢さんの博論がつい先日書籍化され発売された。博論の内容からはいろいろ変更もあり、一般読者でもかなり読みやすくなっていると思う。この本をこの業界にいる英語講師全員に読んでほしい。byという前置詞について、ものすごく丁寧に、自分じゃ絶対気付かないだろうという様々な事実が、詳細に説明されていて、教育とか関係なくても、英語好きにはたまらない内容になっている。「どうやって学習するのがいいのか」についても、「byはどのように使われているのか」についても、非常にたくさんの示唆を与えてくれる本だ。
「権化」という単語が前書きに出てくるが、僕も多かれ少なかれそういう部分があった。僕はこの博論(この本)のおかげで多少なりとも「権化脱却」ができたと思うので、できるだけたくさんの人がこの本を読んで、「権化脱却」をしてほしいと思う。この「権化」が何を意味するのかはぜひ実際に読んで確認してもらいたい。
前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか ―多義論から多使用論へ
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